十勝沖地震. 地震直後の津波で消防車と船が民家に乗り上げた(青苗地区). イルカと人間 3年前に北海道各地を回り、過去の地震津波を検証した元東京大学地震研究所准教授の都司嘉宣 (つじ よしのぶ)さんが語ります。. 日本海中部地震(1983年)では地震発生後17分後に奥尻島を津波が襲った。. 1933年の三陸地震(M8.1)に伴って根室や釧路に高さ1m前後の津波が来たように、三陸沖の地震や、1960年の「チリ地震津波」のような外国の地震によっても、津波による被害を受けたこと … n 40°44′e 143°35′ 7.9. 弟子屈地震. 第3図は、1894年と1973年の根室沖津波について、波高と波源域を比べたものである。図示のように、両津波とも北海道沿岸では2m前後の波高を記録し、大差ない。しかし、三陸沿岸をみると、1894年津波は1.5m前後で海岸に溢れたところもあったが、1973年津波は0.5m程度の波高にとどまった。広域のデータで比べると、1973年津波のエネルギーは1894年津波の1/4ということになる。まだ、比較できるデータがある。 5 浦河、帯広、釧路. 釧路支庁. 歴史をさかのぼると、1856年8月(安政3年)の津波は函館市街に浸水し、渡島半島東岸の八雲・臼尻などの地域にも津波被害が記録された。震央は、駒ケ岳の噴火と重なったこともあって、渡島東岸付近とみなされてきた。このとき、三陸沿岸では2~4mの波高を記録し、震度5の分布が北海道から青森県下にまたがった。これを1968年十勝沖地震と比べると、渡島東岸の津波が多少異なるものの、震度・津波分布のパターンは1856年津波のものとよく似ている。さらに1856年津波の各地の津波到達時間の記録をもとに逆伝播図を画いたところ、1856年津波の波源域は1968年十勝沖津波のものよりやや北海道寄りに推定された(羽鳥1973)。これら記録の対比により、多少のくい違いがあるものの、1968年津波は1856年津波の再現であった、といえそうである。震央は、1968年地震に順じて八戸沖に改訂されたのである。 この津波と対比される津波が、1843年4月(天保14年)の津波である。厚岸対岸の真龍の神社では石灯籠が倒れるなどの激しい地震動に見舞われ、江戸でも有感を記録し、マグニチュードはM8.4と推定されるほどの巨大地震であった。このときの津波は、厚岸の村落を呑みこみ、「大海のようになった」ともいわれ、水死者46、破壊家屋61、船の破損61と記録に残り、潰滅的な打撃を与えたのである。しかし、村はずれの国泰寺では流失を免かれた、とある。この付近の地盤高は、現在の水準点で5mぐらいであり、潮位が平水より15尺あがったという記録からも、津波の高さは4~5mと推定できよう。また、津波は色丹にも襲ったが、函館ではたいしたことはなかった。 第5図は、いろいろな南千島津波のパワー・スペクトルを示す。釧路の記録は、幅広い陸棚の奥にある立地条件から、常時30分前後に優勢な港湾のセイシュがあって、津波周期の分離はむずかしい。しかし、花咲のスペクトルをみると、明らかに規模の大きい津波ほどスペクトルのピークは長周期部分にあり。小津波になるほど短周期の帯域に移っている。ここで、矢印は津波と常時の記録のスペクトル比を求めた結果から、卓越周期のピークの位置を示す。1918年ウルップ津波のピークは周期40分のところにあり、1963年津波と同様に長周期で、波源域の長さは400㎞に近いことを考えさせる。なお、1918年・1963年ウルップ地震はM81/4のマグニチュードであるが、これらの波源域の大きさは、本州近海の津波ものと比べると、やや長い。, 三陸沿岸各地に潰滅的な打撃を与えた1896年・1933年三陸大津波は、北海道沿岸にも押しよせ、襟裳岬を中心に浦河~広尾間で津波の高さは4~5m、局地的には9mに達した。1968年十勝沖津波では、庶野・浦河で5m前後の大きな波高が測定されたところもあるが、平均して2m程度にとどまり、たいした被害は出なかった。 これら広域の記録から、津波マグニチュードはm=3(1933年三陸津波と同じクラス)と見積もられているが、地震を記録した記事はどの史料からも見当らない。津波に先だつ12日前ごろから渡島各地で大島火山の噴火が目撃され、江差・松前・津軽地方で地上に10㎝もつもる降灰が記録された。この噴火記録から、津波は火山爆発による山塊の大崩壊で起こされた、と考えられてきた。1792年(寛政4年)島原眉山の大崩壊による津波の発生機構と、同一視されたのである。このときの津波記録は、有明海に面した島原・天草・熊本沿岸に限られ、湾外には見当らない。また、1640年(寛永17年)北海道駒ケ岳の泥流で内浦湾内に津波が起こされたが、いずれも狭い範囲しか津波記録は残っていない。 n 41°48′e 144°08′ 8.2. 5 阿寒湖畔、上御卒別 近年の日本海側の地震活動は、太平洋側とは対照的にきわめて低調であるが、歴史的には留萌から積丹半島沖にかけて数個の津波が記録されてきた。これらの地震はいずれもM7以下に見積もられているが、地震規模の割に津波は大きい。これは、この海域の地震断層のすべり面が50°前後の急傾斜という発震機構を反映しているように思える。積丹~留萌沖では、30年近く平穏期が続いており、今後の地震活動に注目したい。 死者28、不明者5、負傷者287. 一方、日本海側の最大級の規模であった1741年渡島大島津波は、まだナゾに包まれている。1940年積丹半島沖地震のように、非弾性破壊的な断層運動で、短周期波成分の小さい地震と考えれば、小さな震度記録は華やかな火山爆発に隠されたかも知れない。ここでは、広域の波高分布が説明できる地震による地殻変動説を示した。なお、津軽の三郡誌によると、808年(大同2年)と1341年(興国2年)に津波記録があり、400年ぐらいの間隔で渡島大島津波が繰り返された疑いもある。 2018年9月6日深夜3時7分 北海道胆振地方中東部を震源とした地震が発生しました。 最大震度は震度階級で最高の震度7を北海道で初めて記録。 地震発生当時は、震度データの入電しない地点があり、 安平町で最大震度6強との発表がありましたが、 その後地震発生当日の夕方に厚真町鹿沼で最大震度7を観測したと判明しました。 1993年7月12日 北海道南西沖地震 地震発生から数分で巨大津波が奥尻島に到達 青苗地区は壊滅的被害【まいにち防災】. 序章 はじめに 1章 大循環とはどういうものか 2章 大循環と気候 3章 どのように測るか 4章 うず 終章 研究の展望. 釧路沖. 2018年(平成30年)9月6日に、 北海道胆振東部地震では、 北海道で初めて最大震度7を観測しました。, 不安を煽るものではなく、 北海道で過去にどんな地震が発生したのかを見て参考にしてください。, 【1622年(慶長16年)】 《地域》三陸沿岸/北海道東海岸 《発生日》1622年12月2日 《地震の規模》M8.1/最大震度5 ◇被害◇ 三陸沿岸/東岸で津波による死者多数, 【1792年(寛政4年)】 《地域》後志 《発生日》1792年6月13日 《地震の規模》M7.1 ◇被害◇ 津波による死者5人, 【1834年(天保5年)】 《地域》石狩 《発生日》1834年2月9日 《地震の規模》M6.4 ◇被害◇ 石狩川河口付近を中心に被害があり、住家全焼23棟, 【1843年(天保14年)】 《地域》釧路/根室 《発生日》1843年4月25日 《地震の規模》M7.5 ◇被害◇ 釧路で5mほどの津波が発生し、 釧路・根室で溺死46人/家屋倒壊76棟, 【1856年(安政3年)】 《地域》日高/胆振/渡島 《発生日》1856年8月23日 《地震の規模》M7.5 ◇被害◇ 北海道の南岸一帯に津波, 【1894年(明治27年)】 《地域》根室南西沖 《発生日》1894年3月22日 《地震の規模》M7.9 ◇被害◇ 根室、釧路、厚岸に被害がでて、 死者1人/住家全壊12棟, 【1896年(明治29年)】 ※明治三陸沖地震 《地域》三陸沖 《発生日》1896年6月15日 《地震の規模》M8.2 ◇被害◇ 北海道では十勝から函館までの沿岸で津波発生し北海道での死者は6人。 北海道から宮城県にかけて家屋流失全半壊1万棟以上, 【1915年(大正4年)】 《地域》十勝沖 《発生日》1915年3月15日 《地震の規模》M7 ◇被害◇ 帯広地方で被害があり、死者2人, 【1918年(大正7年)】 《地域》択捉島沖 《発生日》1918年9月8日 《地震の規模》M8.0, 【1933年(昭和3年)】 ※三陸沖地震 《地域》三陸 《発生日》1933年3月3日 《地震の規模》M8.1/最大震度5 ◇被害◇ 津波による被害。 死者13人/家屋倒壊48棟など, 【1940年(昭和15年)】 《地域》神威岬沖 《発生日》1940年8月2日 《地震の規模》M7.5/最大震度4 ◇被害◇ 苫前~天塩を中心に津波が発生。 死者10人/家屋流出20棟, 【1952年(昭和27年)】 ※十勝沖地震 《地域》十勝沖 《発生日》1952年3月4日 《地震の規模》M8.2/最大震度5 ◇被害◇ 太平洋沿岸一帯に津波の被害。 死者行方不明33人/住家全壊815棟, 【1960年(昭和35年)】 ※チリ地震による津波被害 《発生日》1960年5月23日 ◇被害◇ チリ地震による津波被害。 死者行方不明者15人, 【1968年(昭和43年)】 ※1968年十勝沖地震 《地域》十勝沖 《発生日》1968年5月16日 《地震の規模》M7.9/最大震度5 ◇被害◇ 南西部地域を中心に津波による被害。 死者2人、負傷者133人、 住家全壊全焼27棟, 【1970年(昭和46年)】 《地域》十勝支庁南部 《発生日》1970年1月20日 《地震の規模》M7.0/最大震度5, 【1973年(昭和48年)】 《地域》根室半島沖地震 《発生日》1973年6月17日 《地震の規模》M7.4/最大震度5 ◇被害◇ 津波、強い揺れによる被害, 【1982年(昭和57年)浦河沖地震】 《地域》浦河沖 《発生日》1982年3月21日 《地震の規模》M7.1/最大震度6 ◇被害◇ 日高支庁沿岸を中心に、 負傷者167人/住家全壊13棟, 【1983年(昭和58年)】 ※日本海中部地震 《発生日》1983年5月26日 《地震の規模》M7.7/最大震度5 (青森/秋田) ◇被害◇ 渡島、檜山、奥尻に津波と強い揺れ。 死者4人/負傷者24人/住家全壊9棟, 【1993年 (平成5年)】 ※釧路沖地震 《地域》釧路沖 《発生日》1993年1月15日 《地震の規模》M7.5/最大震度6 ◇被害◇ 死者2人/負傷者966人/住家全壊53棟, 【1993年(平成5年)】 ※北海道南西沖地震 《地域》北海道南西沖 《発生日》1993年7月12日 《地震の規模》M7.8/最大震度6 ◇被害◇ 奥尻島を中心に大きな津波と強い揺れ 死者・行方不明230人 負傷者323人/住家全壊61棟, 【1994年(平成6年)】 ※北海道東方沖地震 《地域》北海道東方沖 《発生日》1994年10月4日 《地震の規模》M8.2/最大震度6 ◇被害◇ 釧路、根室を中心に被害。 負傷者436人/住家全壊116棟, 【2003年(平成15年)】 ※十勝沖地震 《地域》十勝沖 《発生日》2003年9月26日 《地震の規模》M8.0/最大震度6弱 ◇被害◇ 津波、強い揺れが発生 死者1人/行方不明者1人 負傷者849人/家屋全壊116棟, 【2004年(平成16年)】 ※釧路沖地震 《地域》釧路沖 《発生日》2004年11月29日 《地震の規模》M7.1/最大震度5強, 【2004年(平成16年)】 《地域》留萌南部 《発生日》2004年12月14日 《地震の規模》M6.1/最大震度6弱, 【2013年(平成25年)】 《地域》十勝地方南部 《発生日》2013年2月2日 《地震の規模》M6.5/最大震度5強, 【2018年(平成30年)】 ※北海道胆振東部地震 《地域》胆振東部 《発生日》2018年9月6日 《地震の規模》M6.7/最大震度7 ◇被害◇ 厚真町で大規模な土砂崩れ、 札幌市清田区で液状化、 北海道全域で停電, 2018年9月6日の深夜3時7分 北海道胆振地方中東部を震源とした地震が発生しました。, 地震発生当時は震度データの入電しない地点があり、 安平町で最大震度6強との発表がありましたが、 その後地震発生当日の夕方に、 厚真町鹿沼で最大震度7を観測したと判明しました。, 平成30年北海道胆振東部地震では、 北海道胆振地方中東部を震源に北海道の広い範囲で揺れを観測しました。, 北海道胆振東部地震では、 震源に近い「厚真町吉野地区」の山林で大規模な崖崩れが広い範囲で発生 近隣の多数の住宅が巻き込まれました。, 札幌市清田区里塚では液状化現象が起こり、 道路が陥没し家が傾き、泥が流れ込むなどの被害が出ました。, 地震の影響で、 苫東厚真火力発電所を始め、 北海道内のすべての火力発電所が緊急停止し、 北海道内全域の約295万戸が停電しました。, 新千歳空港では設備の破損、停電、ターミナルビルで水漏れなどが発生し終日閉鎖し地震発生当日の運行を無合わせました。, 北海道胆振東部地震の余震とみられ、 【震度6弱】 厚真町 【震度5強】 安平町/むかわ町 【震度5弱】 札幌市北区/手稲区/千歳/長沼/平取 で発生しました。, 北海道で初となる最大震度7を記録し土砂災害、 北海道全域に広がる大規模な停電など甚大な被害が発生しました。, 札幌市では各地で道路が割れたりなどの被害も出て、 特に札幌市の清田区里塚では液状化現象が発生し、 泥が流れ込み道路が陥没、家が傾くなど大きな被害が出ました。, 奥尻島北方沖の日本海海底で発生した地震で、 M7.8/推定最大震度6と、 当時の日本海側の観測史上最大の地震になりました。, 北海道南西沖地震では、 死者202人/行方不明者28人と、 とても大きな被害が出ました。, 北海道南西沖地震の津波の被害を最も受けた奥尻島の西側、 藻内地区で最大31,5mの津波の高さを記録。 (30mはビル10階ほどの高さ), 他の地区の津波での高さは、 ✔︎稲穂地区で8,5m ✔︎奥尻地区で3,5m ✔︎初松前地区で16,8m の津波を観測しました。, また津波火災も多く発生し、 青苗地区では津波直後9件の火災が発生し、 10m近い風に煽られとても早いスピードで燃え広がり多くの被害が出ました。, 火災が進むにつれプロパンガスやボンベ、暖房用の燃料タンクなどが爆発を繰り返し、 津波による被害と重なり消化活動も手のつけられない状態に。, 揺れにより崖崩れが発生し、ホテルや食堂が土砂により倒壊。 そのほか数カ所で崖崩れが発生。, 北海道でも過去にこのような地震の被害が出ていることを忘れないのも今後訪れるかもしれない災害を生き抜くためのヒントになるかもしれません。, 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。, あそびば北海道は、 北海道で生まれ育ち現在も住んでいる、 北海道民が配信する北海道の情報サイト!. 渡島、桧山、特に奥尻に大被害、大津波. 地図コンテンツページです。気象警報、大雨危険度、台風情報、気象情報、天気予報、季節予報、ひまわり、アメダス、ウィンドプロファイラ、海上警報、潮位観測情報、波浪観測情報、津波、地震情報、推計気象分布、震央分布、噴火警報、降灰予報を表示します。 〔3〕Y.Fukao and M.Furumoto;Tectonophysics,25,247~266(1975). 津波 この地震に伴い、札幌管区気象台は午後10時22分に北海道の日本海沿岸に大津波警報を発表しました。 寛保大島津波が渡島西岸を襲ったのは、旧暦7月19日の早朝で、当時松前では雨が降り、海上はシケていたようである。また、津軽地方では「風も静かに雨も遠ざかり」と記録されており、台風による高潮とは考えにくい。 大村秀雄 5 浦河、苫小牧、広 … 〔8〕羽鳥徳太郎:地震2,28,461~471(1975a). —うずはなにをしているか— 高野健三 特に北海道や三陸地方さらに南海地方は地震の発生が過去でも多くなっています。今回は北海道や東北地方の主に日本海側青森・秋田・山形県の地震の歴史についてみていきます。 北海道の地震の歴史. 最近約80年の間に、北海道東部から南千島沖にかけての地震・津波活動はきわめて活発で、これらの記録は、それぞれの立場から整理、検討されてきた(気象庁1962,宇津1968,Hatori1971,長宗1976,阿部1976)。しかし、歴史津波の記録は、これとは対照的に数がかぎられ、北海道の津波活動を論ずるのには近年の津波を中心に話をすすめざるを得ない。そこで、本稿では1894年から現在に至るおもな津波をとりあげて、挙動や波源域を紹介し、その解析結果をふまえて歴史津波の実体像を再現したいと思う。そして発震機構をもとに、北海道の太平洋と日本海側における津波特性を比べ、波源域の時間・空間分布から、今後の津波発生の可能性がある地域を考えてみたい。, 十勝・根室沖で起きた津波が、東部沿岸地域に大きな被害をもたらしてきたことはいうまでもないが、南千島の津波も無視できない。また一方では、三陸沖の津波により、襟裳岬を中心に道南地域に大きな影響を与えてきた。以下に、東部・南千島・三陸沖に発生源をもつ津波に分けて、それぞれの特徴的なことがらを述べる。, まず、端的に津波挙動を理解するために、第1図におもな津波の波高分布を示す。図示のように,1952年3月の十勝沖津波は、厚岸~霧多布間で5~6mの波高に達し、流氷が市街地に押しよせ猛威をふるった。いかにも、北海道的な災害の様相を示したのである。また、三陸沿岸各地を襲って陸上に溢れ、1.5m前後の波高が測定された。 住家全壊 601 、半壊 408. その10年後、奥尻を襲った北海道南西沖地震のときそれを覚えていた人も多く. 大島は、渡島西岸から約60㎞の沖合に浮ぶ東西4㎞、南北3㎞の無人島で、夏期に漁業の小屋が建つが、年間を通じての定住者はいない。最近、北海道大学理学部の地震・地質など各種グループによる総合的な火山調査が行なわれ、大島山頂(標高約700m)付近で幅1㎞から、島の北側に向けて北岸2.5㎞の範囲に大崩壊の痕跡が確認された(北海道防災会議1977)。しかし、この程度の崩壊から予想できる津波は短周期波で、渡島西岸に局地的にはい上がることはあっても、波の減衰が早く、数百㎞もの遠くまで大きな波は伝えにくいだろう。しかも、崩壊跡が島の北側であるから、それと逆向きの日本海沿岸の波高分布の解釈はむずかしい。 1952年十勝沖津波後、エトロフ・ウルップの南千島の地震活動が活発になり、北海道東部ではしばらく平穏期が続いた。 そして、1952年十勝沖津波と1969年北海道東方沖津波(Hatori1970)に狭まれた海域に、1973年根室半島沖津波(羽鳥1975a)が起きたのである。 イルカぶっくす・2 北海道の津波史の幕あけに、記録された津波が日本海側で最大規模の1741年8月(寛保元年)の渡島大島津波である。記録には、渡島西岸の松前から熊石に至る120㎞の範囲にあった村落で、水死者はじつに1,467人(福山秘府によれば1,236人)、流失家屋729戸、大小船舶の破壊1,521隻に及ぶとある。当時の人ロ構成からみて、いかに津波が猛威をふるったかが理解できよう。 〔9〕羽鳥徳太郎:地震研究所彙報,50,397~414(1975b). 北海道から岩手県の沿岸で調査されてきた過去6000年の津波堆積物の資料を活用。最大クラスの地震として、三陸・日高沖の日本海溝モデル(m9.1)と十勝・根室沖の千島海溝モデル(m9.3)という二つの領域での地震に分けて分析した。二つのモデルを想定した場合、北海道から岩手県の太平洋側 … ここで、津波の発生源である波源域を紹介しよう。津波の多くは、断層運動によって海底が隆起・沈降して起こされるが、その変動域のことである。第2図は1例として1952年十勝沖津波の波源域を示す。沿岸各地の検潮記録や目視された津波伝播時間をもとに、海図上に逆伝播図を作図して推定される。第2図の波面は、各地の伝播時間に相当した最終波面を示したもので、実線は検潮データ、点線は目視記録によったことを表わしている。この地震が午前10時23分ごろ起きたことさら、各地で信頼のおける目視記録が多数得られ、検潮データを補足することができた。解析の結果によれば、波源域の長さは160㎞、面積にして8.8×103km^2となり、検潮記録の津波初動がすべて押し波であったことから、この領域が海底の隆起とみなせる。右下図はこの地震の余震域を示し、Aは本震から1日間、Bは1ヵ月間のものを表わしており、波源域は本震直後の余震域とだいたい一致したことがわかる。 さらに時代をさかのぼって、三陸地震の史料を見直すと、1677年4月(延宝5年)と1763年1月(宝暦12年)に起きた津波の波高・震度の大きさ、分布パターンが、1968年十勝沖津波ときわめてよく似ている(羽鳥 1975b)。これら地震の北海道の記録は見当らないが、1968年津波と同様な挙動をとったことは疑いない。しかも、この種の地震は約100年の比較的正しい間隔で起きており、この地震の長期的地震予知の目安になる。このように、最近の津波をふまえた史料の見直しから、歴史津波の実体像が浮かび上がってきたのである。, 渡島半島西岸は北海道開発の発祥地であったこともあって、1700年の中ごろから、地震史料が渡島から順次、積丹地域に広がり、近年の太平洋側の地震活動とは裏腹に、日本海側の歴史津波が多く記録されてきた。 昭和27年3月4日. イルカぶっくす・3 〔16〕K.Shimazaki:Phys.Earth.Planet.Inter.,9,314~327(1974). 過去の震度データの検索; 緊急地震速報の発表状況; 過去の推計震度分布図; 長周期地震動に関する観測情報; 気象庁の発震機構解; 発表した津波警報・注意報の検証; このページのトップへ. この地震だけで、地殻変動による地割や陥没、建物の倒壊、液状化現象による田畑や道路など、各地区で大きな物的被害をもたらしました。 2. 1994/10/04-北海道東方沖地震(m8.2) 1993/07/12-北海道南西沖地震(m7.8) 1993/01/15-釧路沖地震(m7.5) 1990年 │ 1981年: 1982/03/21-浦河沖地震(m7.3) 1980年 │ 1971年: 1973/06/17-根室半島沖地震(m7.4) 1970年 │ 1961年: 1969/08/12-北海道東方沖地震(m7.8) 1968/05/16-十勝沖地震… 〔5〕T.Hatori:Bull.Earthq.Res.Inst.,48,399~412(1970). 津波被害は渡島西岸にとどまらず、津軽にも流失家屋が記録され、三厩・関などの村落では5~6mの波高が推定される。津波は遠く両羽・北越に伝わり、佐渡を襲い、鷲崎・相川では津波の高さは4~5mと推定できるほどに高い。さらに、島根県沿岸にもこの津波が伝わった、と思える記録がある。 死者 201 、行方不明 28 、負傷者 323. 北海道南西沖地震. n 42 ° 47 ′ e 139 ° 12 ′ 7.8. 昭和 34 年1月 31 日. 本図は、2011年までに北海道太平洋沿岸で行われた津波堆積物の各種調査を踏まえて推定された「最大クラスの津波」による波高と浸水域の想定結果である。. 地震の際に津波の来襲を受け、住宅83戸他の被害を受けた。そのた め、住民はそのときの経験から地震が生じた際、高台へ避難する意 識が形成された。 ・文献資料 タイトル:『北海道南西沖地震 奥尻町記録書』 発行:奥尻町 役場 発行年:1996年3月1日 01371 4-1 第9図は地震と津波のマグニチュードの関係について、外国のデータも加えて示してある。図示のように、M7.0~7.5の範囲が目立ってバラツキが大きい。津波規模に3階級の幅があり、津波エネルギーにして15倍もの大差になる。これでは、地震規模に依存した情報から、精度ある津波予報はきわめてむずかしい。地震の断層運動にはいろいろなタイプがあり、津波を多様化しているのである。最近、M7以上の多くの地震について、長周期波の解析から地震モーメントが求められ、地震の大きさをよく評価している。たとえば、積丹地震のモーメントはMo=4.2×10^27ダイン・㎝と解析され、新潟地震のものより1割程度大きい(Fukao and Furumoto 1975)。これらの解析結果から、大きな津波ほど、地震モーメントとよく対応することがわかってきた(羽鳥 1978)。発震機構の研究がさらに進めば、地震波のスペクトルや地震モーメントの情報処理によって、津波予報の精度はさらに向上するに違いない。 〔15〕札幌管区気象台:気象庁技術報告,20,46~96(1962). 先日、北海道沖でm(マグニチュード)9級の巨大地震の発生が切迫していると政府の地震調査委員会が公表。どのような被害が発生するのかなど、詳しく解説します。 天気予報 ライブカメラ 雨雲レーダー 衛星雲画像 天気図 台風 警報・注意報 雷 地震 津波. に新しい。この津波ではインド洋周辺各国で30万人 以上が犠牲になった。津波といえば、北海道では 1993年の北海道南西沖地震、1960年のチリ地震、 1952年十勝沖地震の際に発生し、大きな被害が記録 されている。 津波の約90%は地震、残り10%は火山噴火や海底 Copyright© 2003-2021 津波ディジタルライブラリィ All Rights Reserved. 〔12〕北海道防災会議:渡島大島—火山地質・噴火史・活動の現況および防災対策.北海道における火山に関する研究報告書,第6編,1~82(1977). 陸. ©Copyright2021 あそびば北海道.All Rights Reserved. 5 小樽、寿都、江差、深浦. 北海道南西沖. 庄内地震: 死者 726 (5) 山形県の西部: 明治29(1896)年6月15日: 8.2: 明治三陸地震: 死者 21,959: … 第4図は、これら南千島の津波について、日本とソ連側の観測データから逆伝播図の方法で得た波源域を示す。ここで、各波面にはそれぞれの観測点の伝播時間が示してあるが、エトロフとウルップ沖との津波では、花咲で伝播時間に20分ほどの差がみられる。1963年ウルップ津波の波源域は、北千島の観測データから北端がおさえられ、その長さは470㎞にも及ぶ大きな波源域が推定された(Soloviev 1965)。しかし、1918年のウルップ津波では北側のデータがなく、波源域の広がりははっきりしない。そこで、つぎに示すように花咲・釧路の津波波形を周期分析し、津波のスペクトルから波源域の大きさを推測してみた。 地図コンテンツページです。気象警報、大雨危険度、台風情報、気象情報、天気予報、季節予報、ひまわり、アメダス、ウィンドプロファイラ、海上警報、潮位観測情報、波浪観測情報、津波、地震情報、推計気象分布、震央分布、噴火警報、降灰予報を表示します。 〔14〕長宗留男:札幌気象100年記念論文集,104~118(1976). 昭和43年5月6日. 序章 はじめに 1章 ギリシャ・ローマのイルカ 2章 英国とイルカ 3章 シャチホコ 4章 現代のイルカ物語終章おわりに 1952年十勝沖津波後、エトロフ・ウルップの南千島の地震活動が活発になり、北海道東部ではしばらく平穏期が続いた。そして、1952年十勝沖津波と1969年北海道東方沖津波(Hatori1970)に狭まれた海域に、1973年根室半島沖津波(羽鳥1975a)が起きたのである。この地域は、80年近く地震活動が低調で、根室半島の地盤沈下が続いていたことから地震の空白域とみなされ、近いうちM8程度の巨大地震の起こる可能性が指摘されていた(宇津1968)。そこへ根室沖地震がまっていたように起こり、当時社会の注目を浴びたことは記憶に新しい。この地域は、1894年3月の根室沖地震の発生域であったこともあって、1973年地震はその再現と考え、この余震域が1952年と1969年地震の余震域の間を埋めて空白域を解消し、歪エネルギーが放出されたという見方がある。果してそうであろうか。津波データから調べてみよう。 留萌郡鬼鹿村に小被害. 北海道地震過去一覧は? 太平洋側. 内 . 北海道は17世紀以降、火山の噴火や津波にたびたび見舞われてきた。しかし、一般には大きな地震は少ない場所だと思われていた。2017年12月、政府の地震調査委員会が、北海道東部の十勝沖から択捉島沖の太平洋に横たわる千島海溝で、マグニチュード(m)9級の超巨大地震が今後30年以内 … 檀原毅 過去に北海道で発生した震度5弱以上の地震の歴史を、気象庁のデータを活用し年代別に集計しました。日本は地震大国であり、同じ場所で同じ大きさの地震が繰り返し起こるとも言われていま … 北海道で震度7の地震:過去には道南東側で多く発生 社会 2018.09.06 北海道の空の玄関口である新千歳空港の南東で震度7の地震が発生した。 海の大循環 イルカと人間のかかわりあいはほほえましくそして古い。著者は鯨類研究の専門家であるが、余暇にその文化史を20余年もたずねた。写真・図面などをながめながら楽しく読める珍しい本である。 〔2〕相田勇:地震2,30,11~23(1977). 1896年(明治29年)6月15日:明治三陸地震と津波で十勝から函館までの地域で津波が発生して6名が死亡、マグニチュード8.2 1915年(大正4年)3月8日:十勝沖地震で死者2名、マグニ … 地震・津波の観測. 1994年北海道東方沖地震 1994年10月、釧路市と厚岸市で震度6を記録しました。 この地震により根室市花咲港で173cm、釧路97㎝の津波が発生し、地震および津波により大きな被害が出ました。 〔11〕羽鳥徳太郎・片山通子:地震研究所彙報,52,49~70(1977). 〔19〕宇津徳治:地震予知連絡会会報,7,7~13(1972). では、どのあたりに海底変動が起これば、広域の波高分布が説明できるであろうか。つぎのような、3個の波源モデルを想定してみた。大島を中心とした直径20㎞の波源と、渡島・津軽沖に長さ100㎞の変動域を想定したモデルである。第7図に示すA波源は、大島西側の日本海盆縁に、等深線にそって北東一南西方向に想定してある。その根拠は、海底地形のほかに、奥尻島の第四紀地殻変動がこの走向であることを重視した。これらの波源から津波伝播図を画き、波源域周縁から放射する波向線が沿岸に達したその集まり具合で、グリーンの法則を応用して、沿岸のshoalingと屈折係数を計算した。もし、波源の海底が一様に隆起したとして波の指向性を無視すれば、波向線で分けられた各沿岸の波高増幅係数は波高分布と対応するであろう。このような解析方法で、3個の波源モデルによる沿岸の波高増幅係数と波高の分布パターンを比べると、第7図に示す波源モデルが、もっとも波高分布と調和する(羽鳥・片山 1977)
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